美しいひと、理想

「素直で気持ちのいい人」でありたい。| マナー・作法の意味、その本質を考える。

こんにちは。

今、本屋でふと目に留まったマナーに関する本を読んでいます。
立ち居振る舞いを整える系の読み物はけっこう好きで、過去にも多く読んできました。
その上で、個人的に思うこと。

文章がとっても綺麗で、読んでいると身の引き締まる思いなのですが…
なんだか少し、違和感を抱いてしまう部分もあるのです。

今年コロナが日本でも感染拡大してきたその当初、接客を伴うお店や施設の職員の方に対して「マスクをしたまま接客するなんてマナーに反する、失礼だ」という声も少なからずあったそうです。

個人的に、この意見にはものすごく呆れてしまいました。
お客や利用者の健康を守ろうと考えてくれているからこそ、その対応なのでしょうに。
その人の言う「マナー」ってなんなんだ、と。

こういうふうに、自分本位にマナーを曲解して定義している不思議な人は、少ないようでけっこう存在するように思います。
そういう人に出くわすと、人間の品格や品性というものの本質を考えてしまうのです。

マナーもいいけど、目に見える部分ばかりにとらわれてその奥にあるものを蔑ろにしてしまうような謎ルールは、必要なのか?
その不思議な解釈を助長してしまうような「謎マナー」は、マナーの本質から外れてしまうのでは??

・本当の意味でのマナーや所作とは?
・真に美しく品の良い人とは、どんなふうな人のことを指すのか?

今回は、自分が抱いた違和感の正体を探り、自分なりの答えを見つけていければと思います。

マナー・作法を学ぶ意味

なぜマナー・作法の本がコンスタントに売れていて、コンサルタントによるセミナーも盛況なのでしょうか。

「仕事」「婚活」「我が子の受験のため」など、
マナーを学ぶ動機は人によって様々で、そのすべてが正しいと思います。
どの分野においても「知ろうとすること」「やってみようとすること」、その姿勢がまず尊い。

自分の場合ですと、
「社会の中で生きる上で、自分も同じ空間にいる相手も気持ちのいいふるまいができたらいいな」
と思うからです。
また「少しでも魅力的な人に見られたい」という願望もあります。
単純な性格なので、そういう系統の本を読むと、如実に意識が変わるのです。

ことば遣いや、美しい所作など。
その基本を知っていれば、相手や場面によって臨機応変に対応することも可能になってくる。
あえて崩すにしても、基礎を押さえていることで手前勝手な解釈がなくなる。
自分がこう動くと相手はどういう風に思うのか、想像力を働かせることもできる。
(あまりにも嫌な相手なら必要以上に関わらないのが吉かとは思いますが)

周りの方から立ち居ふるまいを褒めていただくこともあり、自信にもつながりますし、単純にとてもうれしいです。

このように、マナーや作法を学ぶことは意義のあることだと考えます。

マナー・作法の本質から外れた事象への違和感

そもそもマナー・作法というものは何のためにあるのか。
それはまず「関わりあう皆が気分よく過ごせるように」「その場を心地よく保つために」ではないでしょうか。

人に配慮し、ものを大切に扱う。場の雰囲気を心地よいものにする。
そのために、学ぶべきマナーや敬意というものが存在するのだと考えています。

その一方で、その本質から外れているケースも散見されるように思います。

前述のように「マスクは無礼だ」という人は、自身のスタッフさんに対する思いやりを欠いている。
自分本位で、偉そうなふるまいをするような人に必要以上にへりくだり、増長させるようなことは、真のマナーの意義から離れてしまっているのではないでしょうか。

また、ことばや身なりが整然としていたとしても、例えばそこから外れたものを見下すようなその人の内面が透けて見えていたとすれば、そちらの方がよほど品がない。

「お箸の持ち方がこんなだなんて。
飲み物を、カップの容量に対してこんなにたくさん入れるだなんて。
あぁ恥ずかしいこと、日本人としての美しさがない。お里が知れる」などという物言いには、傲慢さを感じます。
(周りの誰もを不快にさせるほどの壊滅的なレベルであれば少し話は違ってきますが)

たとえご本人が隙のない完璧な立ち居ふるまいであったとしても、私にはあまり魅力的には映りません。

マナーや作法は、マウンティングの道具ではないと思うのです。

「見ていて気持ちのいい人」が個人的理想

「魅力ある人」とは。

日々色々な方と関わりを持つ中で、私が一番「素敵だなぁ」と憧れ理想とするのは、老若男女問わず「見ていて気持ちのいい人」です。

優しくて、爽やかで、素直。
周りを見下したり陰で悪口を言ったりしない。
自分のステータスや能力をひけらかすようなこともしない。
相手を想い、ことばを選び、心を配っている。
それが自然と身についている人。

率直で明るく、おいしいものをおいしく食べる。
場を楽しみ縁を尊び、何かをしてもらったらきちんとお礼を伝える。
うれしいことがあれば、うれしがって。
素敵なものは、心から褒める。

やわらかくも芯は強く、しっかりと自分を持っている。
人のせいにしない。自分だけが被害者であるかのような物言いもしない。
自分に誤りがあれば、認めて改善しようとする。

そういう人は、見ていてとても気持ちがいいのです。
文字にするとほぼ当たり前のことのようですが、その当たり前を自然に行える人は、なかなか希少なのでは。

マニュアル通りの完璧なマナーを身に着け、
常にほほえみをたたえた画一的な表情の人よりも、よほど魅力的だと私は思います。

そういう人と接すると「こちらを自然に尊重してくれている」ことがすごく伝わってくるので、心があたたかくなり、不意に涙が出そうになってしまいます。
まったくの初対面で、ほんの一時の交流だったとしても、たちまちファンになってしまう。
ずっと心に残り、ふと思い出しては「素敵な人だったなぁ、ああいう人がいいなぁ」としみじみ思うのです。

まとめ

どんどん新しい「マナー」が生まれます。
時流によって変わってゆく配慮の仕方、というものもあるでしょうが、本当に大切なものはいつの時代でも変わらないはず。

相手も同じ人間で、繊細な心を持っていること。
お客様は神様、ではないこと。
作法でもって人を計ったり威圧するようなふるまいは、本質から外れていること。

言うまでもないことであるはずですが、そうは思っていない人が一定数、いつの時代にも存在しているという不思議。
本当にマナーや作法が身についているのであれば。人やものを大切に思う心を学んだのであれば、いったいなぜそんなふうな考え方になるのか。わかりません。
(人間関係のいざこざ、についてはややこしい部分もありますが)

真のマナーとは?本当の意味での美しさとは?
各々の環境などに左右される部分もあるでしょうが、それほど堅苦しく窮屈なものではないのでは。
しっかりと考え、ちゃんと優しいふるまいをしたいです。

ノックの回数や、常に同じ表情をキープして対応することよりも、
人を思いやり、敬い、誠実に対応しようとする優しさが肝要。
それを心の中心に持っていれば、おのずと魅力あるふるまいになり、周りにもそれが伝わると思います。

その道の権威が語ることすべてを鵜呑みにして盲信してしまうのではなく、本質をきちんと自分の頭で考えて咀嚼することが大切だなぁと、心から感じます。

以上です。読んでくださりありがとうございました!

〈おわり〉